ピンクレディー解散の真相!伝説を作った二人の現在は?

1981年に解散した「ピンクレディー」

ケイこと「増田恵子」ミー(未唯mie)こと「根本 美鶴代」

彼女たちはわずか5年という短い間でヒット曲を量産。

現在の若者も当時の二人の事は知らなくてもカラオケでは定番の歌になっています。

1970年代後半の日本に社会現象をもたらしたUFO」「ペッパー警部」などのヒット曲。

股を開く過激な振り付けや、ミニスカートなどのセクシーな衣装も当時の若者の心をつかみました。

そんな「ピンクレディー」が何故解散したのか?

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野口五郎との熱愛が解散理由だった!

「増田恵子」は、著書「あこがれ」の中で当時「野口五郎」と熱愛関係にあったことを明かしています。

当時の「野口五郎」といえば「西城秀樹」「郷ひろみ」と並んで新御三家と呼ばれた大人気アイドル。

その頃の「ピンクレディー」は人気も下降気味で、

1979年 – シングル「KISS IN THE DARK」で全米デビュー。

その後「野口五郎」と熱愛中だった「ケイ」が結婚を決意した事で、

「ミー」との間に軋轢が生まれてしまったのは事実のようです。

でも当時の「ミー」は、「ケイが幸せになるなら問題ない!」と、解散を同意したのです。

それとあまりの活動の多忙さが原因で「ケイ」が精神的に参っていたという話も聞きます。

結局「ケイ」「野口五郎」と結婚することはありませんでした。

「ケイ」「野口五郎」との結婚を熱望して解散したのはファンにとってはショックでしょうね。

「ピンクレディー」が解散した後、「ミー」はソロデビューを果たしています。

現在も「未唯mieという名で、アーティストとして活動されています。

「未唯mieの公式サイト
出典:https://blogs.yahoo.co.jp/p_no_kimochi/31396474.html

「ケイ」は、解散以降女優に転向。

実は「ケイ」は、ピンクレディー解散から10年目、念願の映画初出演の撮影中に、

「バセドゥ病」を発症しています。

「バセドゥ病」とは、甲状腺ホルモンが過剰に作られる難病。

症状としては、四肢の麻痺や頚部の膨張、眼球突出による視力低下が代表的です。

「ケイ」は、不調を3年間も周囲に隠し続けた結果、たった数段の階段すら登れないほど症状が悪化。

投薬によって、結婚前には症状が落ち着いていたものの、再び悪夢が蘇ることとなってしまいました。

そんな二人は、1981年~2003年の間に、4年~7年毎のペースで4度の「再結成」を果たしています。

そして、2010年には最初の解散を果たしてから30年後に5度目「再結成」を果たします。

彼女は決して病気を明かさずにコンサートツアーを完遂。

もはや病状を隠せなくなった2005年のツアー終了時に、自身のブログにて「バセドゥ病」を告白しました。

加えて2013年には、難聴やめまいを伴う「メニエール病」を発病しています。

現在の「ケイ」は、継続的な仕事で体を酷使することが難しいため、あえて仕事をセーブしている状態といえそうです。

「桑木知二」が社長を務める「ギルド・ジャパン」は、2004年1月に自己破産しました。

でも夫婦仲は良好で、離婚の心配は全くないみたいです。

2人には子供はいないものの、「ケイ」にとって「バセドゥ病」の闘病を支え続ける「桑木知二」は、

かけがえのない存在となっているようです。

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最後に

1976年の「スター誕生!」から生まれた「ピンクレディー」

今まで、「ミー」も「ケイ」もピンでの出演はあったものの、二人揃って出演する機会が少なかった。

そして2017年12月30日に放送された第59回の「輝く!日本レコード大賞」に。

なんと、39年ぶりに「ピンクレディー」として、二人揃ってのステージで曲が披露されました。

お二人には音楽番組だけでなく、バラエティ番組などでも活躍してほしいですね。

これからも頑張って、何時までも歌を歌い続けてください。

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