サーファーなら知らぬ者はいない伝説的レジェンドサーファー「ジェリー・ロペス」。
1948年11月7日 ハワイ生まれの68歳。
ジェリーは建築士になるためハワイを出てカリフォルニアのウィッティア大学へ入学。
カリフォルニア州バハでのサーフトリップをきっかけにサーフィンにはまります。
その後地元ハワイへ戻りハワイ大学へ転入。
サーフィンを楽しみながらベストボードを追求するため自らボードシェイプも手がけます。
そしてスピードに長け小回りの効く「ショートボード」をシェイプして世界中に普及させました。
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1972年に自身のサーフブランドである『LIGHTNING BOLT(ライトニングボルト)』を立ち上げ、
世界中のサーファーから憧れの存在となります。
ブランドロゴである稲妻マークが入ったサーフボードはシンプルかつ洗練されたクールなデザイン。
そんなジェリーが出演した1978年のサーフムービー「ビックウェンズデー」。
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この映画を観て益々サーフィンにのめり込んだ爺ちゃんでした。
![](https://i2.wp.com/kohiyoto.com/wp-content/uploads/2017/10/a1ec7867bb30535d2fa6e8fe00ea1921.png?resize=300%2C291)
ラストのサーフシーンはカリフォルニアではなく、
ハワイ州ホノルル郡ププケアのサンセット・ビーチで撮影されました。
ハワイのオアフ島ノースショアに位置するパイプラインにおいて、
あまりに波と同化した美しいスタイルでライディングすることから、
「ミスター・パイプライン」と呼ばれていた「ジェリー・ロペス」。
72年と73年にはパイプマスターズで優勝し、パイプマスターの称号に輝いています。
現代で言う所のジェイミー・オブライエンやジョンジョン・フローレンスといった存在ですね。
ジェリーは、1992年に家族と一緒に米国オレゴン州ベンドへと引っ越し。
サーフィンパラダイスのハワイから、スノーエリアのオレゴンへと生活の舞台を移したのです。
オレゴンでは、サーフィンはもちろんのこと、スノーボードに没頭していることは有名な話。
また、スノーボード自体を製作したりとクリエイティブな生活を送っています。
![](https://i0.wp.com/kohiyoto.com/wp-content/uploads/2017/10/Gerry-Lopez-River-Surfing.jpg?resize=300%2C168)
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最後に
サーフィンの神様と言って良い「ジェリー・ロペス」。
彼の功績は計り知れない程でしょう。
爺ちゃんも憧れて、
彼のシェイプしたライトニングボルトに乗っていました。
このボードには彼がシェイプしたナンバーが刻まれていました。
「写真がないのでネットから拝借」
1枚フィンのこのライトニングボルトですが、
KawsakiZ2(バイク) の組み立てのため14年前に売ってしまいました。
今考えるともったいない事したなと後悔しています。
この後2枚・3枚フィンのボードなどが主流になり、
サーフボードは目まぐるしい進歩を遂げています。
それも「ショートボード」を考えた「ジェリー・ロペス」のおかげです。
これからもサーファーに良い刺激を与え続けて欲しいですね。
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