今回は「鶴瓶の家族に乾杯」に出ていた画家「吉田友幸」さんをご紹介します。
琵琶湖に通じる川の風景や、そこに生息する植物などを、
油絵や日本画で幻想的かつ独創的に描く画家さんです。
東近江市小脇町(旧八日市市) にお住いの「吉田友幸」さん。
大津市の堅田で生まれ、唐崎で制作をされていた吉田さん。
現在お住まいのこの場所は、お父さんのご実家。
広いアトリエが欲しいと移られたのですが、
「琵琶湖が見えないんで調子が悪い」と感じているそうです。
広い田舎の一軒家のアトリエには、吉田さんの作品が溢れています。
その絵の中にちょっと変な絵が。
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人生を変えたへシコの絵
「吉田友幸」さんのお爺さんが描かれた油絵です。
「鶴瓶の家族に乾杯」で紹介されていましたが。
お皿にのったへシコを描かれているのです。
番組では「菅田将暉」さんに、
「おかしな絵でしょ?」
「なんでへシコを描いたのか解りません」
「普通へシコなんて描かない」
嬉しそうにそうお話しされていました。
![](https://i2.wp.com/kohiyoto.com/wp-content/uploads/2017/10/nye.jpg?resize=300%2C169)
因みにへシコはこんな物です。
![](https://i1.wp.com/kohiyoto.com/wp-content/uploads/2017/10/b96993266298c7673baa338dc15bc53e.jpg?resize=300%2C214)
爺ちゃんも「滋賀県やからへシコじゃなくて鮒ずしやろ」と思わず突っ込みました。
「菅田将暉」さんは、
「お爺さんも絵を描いていたんですね」
「やはりお爺さんの影響で画家になられたのですか?」の問いに。
「吉田友幸」さんはお爺さんの影響は無いと言われました。
が、お爺さんの存在は大きかったはずです。
子供の頃から絵が好きで、上手いとよく誉められたそうです。
誉められるとその気になって、また絵を描き続ける毎日。
中学を卒業する頃には、画家になると決めていたそうです。
しかし、美術の学校に入学するわけでもなく普通の高校へ進みました。
そんな時新聞のコラムに載っていた建築家の「安藤忠雄」さんの
「35才までは180キロのトップスピードで生きろ」という記事を読み、
35才まで勉強すると決められ、その後1年間スペインへ武者修行。
帰国後「滋賀の風景を残したい、描きとめておきたい」と思い、本格的に画家になる決意をされました。
吉田さんのモチーフは、自分の身の周りのモノ。
生物・植物・風景を油絵で描かれます。
「菅田将暉」さんが、
「背景が何もなくで個性的ですね」の問いに。
「私の絵は足していくのでなく、引き算、引いていく絵だと思います」
「語らなくても、主張できる、鮮明感や躍動感のある絵を描いている」
と話されます。
木工好きの吉田さんは額も自分で作られ、その出来映えに額を誉められることもあるとか。
「額を造るみたいに楽しんで絵かかなあかんな、とお客様から言われた時は結構へこみました」と、
「画風やスタイルよりもいい絵を描くことが最終到達点。
単純に綺麗なものも大切だけど、素直に描くのが一番いいんです」
と吉田さんは語られます。
![](https://i1.wp.com/kohiyoto.com/wp-content/uploads/2017/10/89-2.jpg?resize=220%2C220)
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![](https://i2.wp.com/kohiyoto.com/wp-content/uploads/2017/10/DSC_0821.jpg?resize=300%2C228)
![](https://i1.wp.com/kohiyoto.com/wp-content/uploads/2017/10/89-1.jpg?resize=220%2C220)
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最後に
![](https://i0.wp.com/kohiyoto.com/wp-content/uploads/2017/10/0bece732bee63f2b2f756b16c2c2b23e.jpg?resize=300%2C244)
「菅田将暉」さんが凄く気に入ってた梅の絵。
爺ちゃんも一枚欲しいな。
湖国の風景を描き続け、県内のみならず、
全国でも個展を開催してきた「吉田友幸」さん。
これからも滋賀県の美しい風景を描いてください。
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