最初にお断りします。
これは映画「関ヶ原」を観ての私の感想です。
映画の観方や感想は人それぞれですのでおじさんの独り言だと思い見てください。
まず映画の初めに朝鮮出兵の件りなどが解説されていました。
でも「関ヶ原」を観に行く方はある程度歴史を理解されています。
歴史を知らずに観たらただの戦の映画です。
歴史背景が解っているからストーリーの中に入っていけるのだと考えます。
映画の限られた時間を考えるとこの件は必要なかったと思うのは私だけ?
映画自体は前評判通り素晴らしいものでした。
スケールの大きい壮絶な合戦シーンは一見の価値あり。
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各武将達の迫力・緊迫感・魂がこもった演技力。
特に島左近は最高でした。
でも映画を観終えた後に何故か違和感が・・。
その時はそれが何かは解らず、
風呂に入りながら今日観た「関ヶ原」を思い浮かべていました。
そして出てきた答えが(方言)でした。
この映画では当時そのままを映像化するため
キャストの言葉を標準語ではなく方言で表しています。
各武将が方言で喋っている。
これは当時の再現フィルムなら本当にこう言う言葉使いだったでしょう。
でもこれはあくまで映画です。
私が違和感を抱いたのは、
映画の各シーンでの武将達の会話の理解でした。
関西弁では「あかん」は標準語では「ダメ」
京都弁の「おおきに」は標準語の「ありがとう」
そして問題は名古屋弁です。(九州弁もそうです)
秀吉は名古屋の中村の出ですから、
本当にこんな喋り方をしていたのだと思うのですが。
決して名護屋弁が嫌いな訳ではありません。
でも映画を観る方は日本全国ですよね。
独特な名古屋弁(九州弁)の言い回しを場面を観ながら標準語に置き換える作業をするんです。
この作業がこの映画「関ヶ原」に真から入り込めない要因でした。
映画自体が素晴らしかっただけにとても残念でなりません。
このコンマ何秒の作業がなかったらもっと楽しめたと思います。
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またストーリーも少し気になるところがありました。
それは初芽との再会のシーン。
初芽は三成の最後の処刑場での再会を果たします。
でも二人は目を合わせただけで微かにほほ笑むだけ。
これでは私が期待した(笑い)のと違います。
愛する人が死に行く最後ですから、
普通はもっとわめくなり泣くなりするはず。
その場で自害してもいいです。
それがただほほ笑むだけ?
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最後に
そして映画の最後は三成の死に装束姿で終わります。
これって永遠のゼロと一緒?と思ったのは私だけかな?
でも永遠のゼロはもっと印象的でしたよね。
永遠のゼロの最後のシーンはこれ。
永遠のゼロが素晴らしいのはこの最後のシーンです。
今から死にゆく人が微妙に微笑んでいる。
この時の恐怖や愛する人への思い出が走馬灯のように思い描かれた。
また先日放送した。
井伊直虎の小野正次の最後のシーンです。
直虎を思いながら死んでゆくとてもインパクトのあるシーンですね。
映画の最後はとても大事だと思うのです。
三成が京都の六条河原で処刑されるとき。
秀吉をまた初芽を思いながら死んでゆくのですから、
このような演技の画像が欲しかった。
やはり最後は腹を切ったその時の三成のアップで終わって欲しかったです。
素人の私が何を言っているんだと感じる方もいるはずです。
これは本当に私個人の感想ですので気になった方は無視してください。
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