「明石家さんま」さんの名言「生きているだけで丸儲け」!
そこに込められた深い意味をご存知の方はおられるのでしょうか?
元々は落語家を志して2代目「笑福亭松之助」の弟子となり「笑福亭さんま」という芸名でデビュー。
師匠は「さんま」さんを見て落語に向いていないと思いお笑いタレントになる事を勧める。
1970年代後半から現在まで芸能界の第一線で活躍を続けている「明石家さんま」さん。
国民的お笑いスターの1人であり「タモリ」「ビートたけし」と並び日本のお笑い「BIG3」の1人にまでになりました。
3歳の時にお母さんが他界
和歌山で生まれた「明石家さんま」さんは3歳の時にお母さんが他界。
その後再婚した義理の母に連れ子がいました。
その義理の母はその弟しか可愛がらなかった。
そんな母に気に入ってもらおうと何時も面白い事を考えて好かれようとしていたそうです。
そんな環境で育ったおかげで現在の「明石家さんま」が生まれたのではないでしょうか?
その弟を「さんま」さんは実の弟の様に可愛がっていました。
しかし19歳の時に火事が原因で亡くなってしまいます。
「さんま」さんは大好きな弟さんの死について後にこう語っています。
ぼくのことを、昔から、すごく尊敬してくれるやつでね。ぼくがいうことは、すべて正しいと思っていたみたいですよ。 自分にも、それから他人にも、素直に自分をさらけだせるやつでしたね。ぼくもサッカーやったけど、チビのほうがすごいんですよ。サッカー部のキャプテンで、インターハイにも出たし、国体選手にも選ばれたしねえ……。 去年の10月、大阪のぼくのマンションに遊びにきたとき、今度のワールド・カップをふたりで一緒に見に行こう。キップはぼくが買っとくからって、約束しとったのに……。 まだ納得できません、あのチビが死んだなんて……。 Facebook ーより引用
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19歳の弟の死
溺愛していた弟を失ったショックで番組でも笑いがとれなくなってしまった。
この時初めて本気で芸人を辞めようと考えました。
そんな「明石家さんま」の窮地を救ってくれたのが、同期である「オール巨人」さん。
共演した舞台の上で「さんま」さんに「お前んち、兄弟焼いたらしいな」と際どいボケ。
本当なら怒ってもおかしくないこのボケですが、
「さんま」さんはこれが「オール巨人」さんの励ましだということに気づき、
「そや、材木きれたから代わりに焼いたんや」と、そのボケに乗りました。
舞台はそれまでにない一番の盛り上がりを見せたそうです。
「さんま」さんは、後に「ありがとう。これで芸人やめんで済むわ」とオール巨人さんに感謝。
日本航空JAL123便墜落事故
日本航空123便墜落事故は、1985年(昭和60年)8月12日月曜日18時56分に、東京(羽田)発大阪(伊丹)行同社定期123便ボーイング747SR-46が、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根に墜落した航空事故である。
「上を向いて歩こう」の「坂本九」さんをはじめとした520名の方が犠牲になった痛ましい航空事故です。
「さんま」さんは当日、フジテレビで『オレたちひょうきん族』の収録後、
大阪へJAL123便で移動し、毎日放送『ヤングタウン』に出演予定でした。
しかし、たまたま「ひょうきん族」の収録が予定よりも早く終わったために、
JAL123便をキャンセルして一つ前の便で大阪に向かい、この墜落事故を逃れたのです。
墜落事故の情報を聞いた「さんま」さんは大きなショックを受け。
出演した事故当日の生放送ラジオ番組「ヤングタウン」を報道特番に切り替えました。
この事故以来「さんま」さんは新幹線で行ける場所へは飛行機ではなく新幹線を利用するようになります。
この便に乗る予定だった「稲川淳二」さんは体調不良で次の日の新幹線に変更。
「稲川淳二」さんの関係者で友人の美容研究家は次の便から1つ早いこの便に乗り換えて帰らぬ人に。
元フジテレビアナの「逸見政孝」さん家族4人もこの便に乗る予定でしたが、
息子「逸見太郎」さん(当時12歳)の「新幹線の方が安い」の一言で新幹線に変更。
「逸見政孝」さんはこの8年後ガンでお亡くなりになるのですが。
また「上を向いて歩こう」の「坂本九」さんは帰らぬ人になりました。
本当ならばあの事故で亡くなっていたのかもしれない「明石家さんま」さん。
常に『死』を意識して生きてきたさんまだけに、 『生きてるだけで丸儲け』という言葉が深みをもってきます。
娘「IMALU」に込められた想い
娘さんの名前の『いまる』は、
父親である「さんま」さんの座右の銘「生きてるだけで丸儲け」からと、
一方「大竹」さんの「いまをいきる(今を生きる)」から命名したのは有名ですよね。
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最後に
3歳のときにお母さんが亡くなり、大切にしていた弟を失い、自分が事故で命を落とすかも知れなかった壮絶な過去。
「さんま」さんの過去を知ると娘の名前に込めた本当の想いが、より一層感じられます。
これだけの過去を背負いつつ、笑顔を絶やさない「明石家さんま」。
ユニークで軽快なトークとパフォーマンスで視聴者を楽しませている「明石家さんま」。
でももしかすると、誰にもわかりえない気持ちを抱えつつ、今を生きているのかもしれません。
つらい過去を微塵も感じさせず、私たちに笑いを与えてくれる姿、心から尊敬します。
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